はじめに
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準備、車検、プロローグ
・
Etap1〜4
・ Etap5〜7・
振り返って
最終更新日:2004/05/27
【カメラマンに注意】
4月10日 ETAP-5 エルボルマ〜ラス・エル・ウエド
TOTAL:320km (内SS=競技区間274km)
スタート前、ルートブックを見てみると、しばらく固い路面が続くらしい。
砂の吹き溜まりに油断をしていたら、いきなりのスタック。
それも、カメラマンの目の前。
「カメラのあるところは注意せよ」、この世界ではよく言われる言葉だが、身を持って実感したのだった。
スタックしちゃった、掘らなきゃ
こっち来ちゃダメー
(後続に向かって。助けて欲しいけど。)
あれ?
みんなあっち通ってる。。。
これで出れるかな?
よし動いた、行け〜!
埋まった脱出板どこだろう?
よいしょ
。。。(無言)
待って〜
【砂嵐、ハイスピード、ガマン大会】
4月11日 ETAP-6 ラス・エル・ウエド〜ラス・エル・ウエド
TOTAL:318km (内SS=競技区間294km)
昨晩から吹き荒れる砂雑じりの風のせいで、空も辺りも砂色に覆われていた。あわてて車に逃げ込むが、砂が入ってくるから、窓も開けていられない。
スタートして体も車も温まってきた頃、いきなりガラガラと「割れて」「落ちて」「引きずり」始めたマフラー。昨夜溶接してもらったところだったが、やはり力尽きてしまったようだ。引きずっている後ろ半分を取り外し、ハカセが淡々と荷台のロールバーに括り付けて、再びスタート。さすが6日目にもなると「次はどこが壊れるかな」車内ではジョーダンさえ出てくる。
ルートは次第にハイスピードコースへ。ところどころ出てくるゴツゴツした石や、不意に現れる固いギャップで、パンクや足廻りにダメージを負った車が続出、道端でジャッキアップされた姿を何台も見ることとなった。
風が強いスタート前
整備中
しばらくすると大地は開け、だだっ広い乾燥した無機質な広野に変わり、砂嵐はますます勢いを増していた。砂塵で空を隠されたこの日は、時間の感覚さえつかめず、砂風に体当たりされながら、どこまでも変わらぬ景色がいっそう長さを感じさせた。
やっと変化が出てきた。
でも今度は変化がありすぎだ。タイヤ以上もある高さの砂の固まりがボッコンボッコン、かなり固くて乗り心地は最悪、その連続だった。苛立った分だけ多くアクセルを踏むと、ガツンと自分にはね返ってくる。だからどこまで行ってもスピードメーターは30km/h。遠くで止まっているように見えたトラックとの距離は、いつまでたっても詰まりも、開きもせず、このガマン大会は延々50kmにも及んだ。
最後のキャンプ地は、いつも以上に賑やかだった。このラリーはよほどのトラブルがない限り、明るいうちに着けるので、整備もキッチリ、夕食もワイワイ、ガヤガヤ。ラリーを満喫できる設定になっていた。
今回出場した他の日本人選手はというと、増岡浩選手や篠塚健次郎選手という超スーパー有名選手だけ。そんな中で、三菱自動車ディーラーチーム監督の川越さんや、チュニジアラリー日本事務局の山田周生さんといったラリーに精通された方が同行されていたおかげで、分からないことを日本語で相談できるなど、2人っきりで飛び込んだ私達には何より心強い存在だった。
夜、整備を終えたナビのハカセは、今度は明日のために本業のナビゲーションの予習が始まる。こうしてチュニジアの長い夜は更けて行くが、ハカセの長い1日はまだ終わらなかった。
【初めてのゴール】
4月12日 ETAP-7 ラス・エル・ウエド〜トゥズール
TOTAL:505km (内SS=競技区間282km)
長く感じたラリーも最終日。
「確実に行こう」、ところがその日の最低アベレージ(これ以下の速度で走っているとペナルティがついてしまうという目安の速度)を聞いてドッキリ。今までのペースで走っていたら、ペナルティが付いてしまうではないか〜!
助けてくれた仲間達と
ゴール!!
さぁ大変。
ここまでペナルティなしで来たのだから、今さらそんなものをもらってなるものか!
プライドと見栄が錯綜し、180kmのリエゾン後に始まった最後のSSは、ラリーコンピューターに表示される時間を気にしながらの最終SSとなった。
そんな事態においても、障害物はかまわず出てくる。高さ30cmほどの緑の植物が辺り一面にワンサカ生い茂り、間違えても枝でパンクなんかしてる場合じゃないと、右によけて、左によけて、またよけて、でもたまにそのまま突っ切っちゃったりなんかもしながら、時速10km/hで走る私は忙しかった。
ようやくそこも切り抜けて、いよいよ最終ステージに突入した。
「ゴールまであと10km」「あと5km」だけどなかなか距離が進まない。
「あと3km」「あと2km」たった1kmがとても長い。
まだゴールの旗は見えてこないが、7日間のラリーで起こったトラブルの数々、1月に「行く」と決めた時から抱えていた不安要素や心配材料、ラリーに憧れ始めた頃からずっと行きたかった念願のアフリカラリー、その『ゴール』がもうそこまで来ている、そう思っただけで、まだ走っているのにすでにウルウル…。
アフリカでくぐった初めてのゴールは、テレビや雑誌で見るほど盛大ではなかった。別に言い換えれば「私達がゴールした頃には、すでに落ち着いていた」という方が合っているかもしれない。
それでも見るものすべてが眩しかった。
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