はじめに準備、車検、プロローグ・ Etap1〜4・ Etap5〜7振り返って
最終更新日:2004/05/27
【舞台はチュニジアへ】

船内ブリーフィング

コマ図予習中


SS1スタート

 プロローグを終えたラリー一行は、ニースの港から船に乗り込み、丸1日かけてチュニジアへと向った。船の中では、全体ブリーフィングやGPSの講習会が行われ、時計も1時間戻してチュニジア時間に合わせるなど、気分は本格的にラリーモードへと変わっていった。
 ちなみに船は豪華客船で、嵐の前の快適そのもの。
 廊下はじゅうたん張り、食事はコース料理、甲板にでれば地中海の日の光。
 慣れない生活環境に戸惑い、またこの雰囲気に流されまいと緊張しながらチュニジア到着までの時間をすごしたのだった。
 そして、チュニジアに到着したのは午後2時過ぎ。昨日までとは明らかに違うチュニジアの風を感じながら、明日のスタート地点である約500km先のエルカンタラのビバークへと向かった。

【走ってビックリ!止まってビックリ!!】
4月6日 ETAP-1 エルカンタラ〜ネクリフ
TOTAL:288km (内SS=競技区間281km)

 夕べは暗くて分からなかったが、朝になるとそこは広い茶色の大地が広がっていた。
 ラリー1日目、まずバイクがスタートし、次に四輪とカミオンがタイム順にスタートする。
 トップクラスのロケットダッシュと恐るべき加速力に、鳥肌を立てながら見とれていたら、数キロ先から煙が立ち始めた。そしてアッという間に煙は真っ黒な太い柱になり、オーガナイザーのヘリコプターも飛んで行った。どうやら上位の四輪が燃えたらしい。それでもラリーは何事もなかったかのように続行され、スタートした私達は黒コゲのロールバーとフレームだけの残骸の脇を通り過ぎた。
 また鳥肌が立った。
 そして、それなりにそれなりに走っていた150km地点の辺りから、クルマの異変に気がついた。以前にも感じたことのあるフワフワしたイヤ〜な感じ。CP3に着いてすぐハカセにリアショックの状態を確認してもらったら「もげてます」。前回のモンゴルのラリーで、ブラケットごともぎ取れた時と同じだった。
 そんな動揺している私達の前に、なっなんとあっあの増岡選手とナビのピカード選手がおそろいで登場しちゃったから、さらにビックリ!
 「クラッチが壊れちゃったよ」と、増岡選手。そういえばさっき、三菱ワークスカーの赤い後姿がチラっと見えたような気がしたが、「まさか…」。JFWDA出身の増岡選手は、私にとってもまた格別な存在であったから、嬉しくて残念でなんとも複雑な心境だった。そんな私をハカセの一言が現実に連れ戻す。
「フォグランプがない」。
 4個つけていたはずのフォグランプの1個が固定されている板ごと、もぎ取れてなくなっている。さらに荷台のアルミボックスのふたも壊れ、中に入れておいたジャッキ棒や木の板なども落としてきていた。
 自分達の状況を把握した私達は、増岡選手にかけられる言葉などあるはずもなく、壊れた部分の応急処置が終わると、ただただ会釈をしてその場を走り出した。終始落ち着いていた増岡選手に、パリダカ優勝者の強さと貫禄を感じた一時だった。
 競技一日目が無事終わり、誰も待っていないキャンプ地に着いた。さて整備をしようとおでこランプの明かりだけを頼りに車を見回ってみると、残り3つのフォグランプもグラグラで、ランプステーもクラックが入っていた。
 さて困った。
 私達にはサポートがいない。
 身寄りのない私達が一番身近に感じたチーム、それはロシアのワークスチーム「カマズ」だった。彼らはカミオン部門の優勝候補で、パリダカではウチの日野レンジャーとライバル関係でもあるが、以前彼らのチームに助けられたことがある私は一方的に親近感を持っていた。勇気を出して相談してみると快く「クルマを持っておいで」と言ってくれ、競技トラックに固定されているロシア製の溶接機で、クラック溶接をしてくれた。大きなカマズがさらに大きく見えた夜だった。

 
【シフトレバーが折れた!!】
4月7日 ETAP-2 ネクリフ〜ネクリフ
TOTAL:322km (内SS=競技区間307km)

 翌2日目はループの日。今までなら車にとって負担となる重い荷物はテントに置いて行くのに今回は違った。ループのコースだが万が一帰って来れないときのことを考えて、寒い夜に備えジャンパーやオーバーパンツ、そして食料をクルマに積み込み、テントにはゼッケンと名前を書いて残した。
 淡々と走った後半、前の車に気を取られた私達は、一瞬オンコースを見失った。そこでバックしようとシフトチェンジをしたその時、ヌルっいう感触で、いきなりシフトレバーが根元からポッキリ折れてしまった。手に残ったシフトレバーに「うっうそ〜」。
 さて困った。
 極端に短くなってしまったシフトレバーでは、ギアチェンジをするのも一苦労だ。
 しばらく試行錯誤を繰り返し、辛うじて残ったネジ2、3山で、何とかハカセがレバーをつなげてくれた。「壊したらオシマイ」と言ったって、人間いざとなると藁をも掴もうと必死になる。皮一枚でつながっているそのレバーで、そろーり、そろりとクルマは動き出し、何とかキャンプ地にたどり着けた。
 さて着いたはいいが、どう修理しよう。
 今度もカマズチームに頼むのはムリだろう。
 なぜなら彼らも競技者で、うちらのサポートでも何でもない。しかし他に手立てが見つからない私は、まずはカマズチームに相談しに行ってみた。するとあるチームのところに連れて行ってくれて「ここなら直せるよ」多分ロシア語でそう言っていたのだろう。そこはフランス人のアシスタンスチームで、大型トラックに工具、パーツの一切を積んで何台もの車両を整備をしていた。彼らは見るからに溶接のプロ。「シフトレバーが折れた」と見せても、さほど驚きもせず「車をもっておいで」と言ってくれた。

J.P.E. Auto Sport
「助かったぁ」
 ところが一度外したシフトレバーはもうつながらず、その代わりになるかと思いバイスプライヤーでつまんでみたり、アルミのパイプをさしたりしたが、短いレバーはピクリとも動かなかった。そこで、デュープのコマとエクステンションをつなぎ合わせ、「てこの原理」でなんとかギアを入れ移動することができたのだった。
 テキパキとした溶接のおかげで、シフトレバーはあっという間に元通りに戻った。
 彼らは「J.P.E. Auto Sport」という老舗のアシスタンスチームで、同じチームのメンテナンスをしながら、他の車両の整備も引き受けていた。
 サポートのありがたみが、しみじみ身にしみた2日目の夜だった。
 
【いよいよ始まる砂丘ステージ】
4月8日 ETAP-3 ネクリフ〜エルボルマ
TOTAL:358km (内SS=競技区間328km)

 いよいよラリーも、待望の砂丘地帯へと入っていく。
 スタート前オフィシャルに「水はあるか」と何度も聞かれ、それはこれから砂丘地帯に入るという合図だった。今までレーシングスーツだった選手達も、今朝はTシャツ姿に変わっていた。
 200km地点に差し掛かった頃、巨大なオレンジ色の、まるで山脈のような砂丘群が前方に立ちはだかった。「これ越えるの?」ルートブックにも砂丘の絵が延々と続いている。それまで吹き溜まり程度だった砂の凹凸も、気がつくと辺り一面、腰丈ほどのモーグル地形に変わっていた。ハンドルを持つ手にも自然と力が入ってくる。でも「あれ?何かうるさくない?」突然ボーボーとやかましくなった。
 「マフラーだ」と車を停めて、あわてて下を覗き込んでみると、排気管の中央部が半分以上錆びて割れている。
「これから砂丘なのに…」
 ハカセが応急処置を施してみるが、長くはもたず再びボーボー。今度はパワーの落ちてしまった車がせめてスタックをしないようにと、タイヤのエアーを少し多めに抜いて再び走り出した。そうして前車が残したタイヤの轍は、砂丘の先へ先へと導いて行った。
 しばらくすると舞台は一変、砂の罠にハマッてもがいている四輪車や六輪トラックが目に飛び込んできた。
「来たな」
 大きく深呼吸をして私達もジワジワとその光景の中に入って行った。それまで腰ほどの深さだったモーグルの波は、人の背丈を超える高さになり、クルマ3、4台を飲み込んでしまうすり鉢状の大きなアリ地獄へと変わっていった。

砂の海へ
 さらにその先は「砂丘の上にまた砂丘」のような複雑で忙しい展開になった。砂の斜面を一気に上るとまた斜面、それを上がるとまた斜面。自分がどっちに行こうとしているのか分からなくなるほど、複雑に地形がややこしい。しかも当てにしている前車のラインは、狭く助走がつけにくい場所ほど直線的に砂丘の高いところを目指す傾向にあるから、ギョッとする場面もある(二輪が通った轍を四輪も通ろうとするため)。
 固くなったかなと思うと、またフカフカになり、平らが続いたと思うと、突然崩れていたりする。この日だけで、何台もの転倒した車の脇を通った。
 ようやく安定した砂地になって一息ついた私達は、車を停めてタイヤにエアーを入れていた。
 と、いきなりエンジンが止まった。
 燃料はあるのに、かからない。
 「またぁ?」実はエンジンが不自然に止まったのは今回2度目。
 車検に行く途中の高速道路を走行中に何の前触れもなく突然止まり、他の車がビュンビュン走る路肩での作業、そして「近藤/小石沢組、車検前にリタイヤか」危機の記憶が蘇る。なかなか原因が分からず焦りの色が見えた頃、ハカセが「分かった」。切れていた燃料ポンプのヒューズを交換して、祈りながらエンジンをかけた。元気よくボボボボボー。
 こうして暗くなる前に、無事に砂丘地帯を抜けることができた。この日のメニューはマフラー溶接、バンパーステー溶接、フレーム溶接。しかし私達以上に激しくいたんだクルマばかりで、私達の順番が来たのは、もう日も変わろうとしていた頃だった。


砂丘快走
【砂丘100% 注意度120%】
4月9日 ETAP-4 エルボルマ〜エルボルマ
TOTAL:310km (内SS=競技区間262km)

 朝のスタートは、バンパーがないクルマ、グリルがついていないクルマ、ボディがゆがんでいるクルマ等、昨日の砂丘の後遺症が目立っていた。
 今大会で最も難所と言われたこの日、砂地100%、私達の注意度は120%だった。
 同じ砂なのに昨日の砂とはまったく違う。昨日はオレンジ色だった砂丘群も、光の加減なのか今日は眩しいキツネ色。ところどころに真っ白な砂もあり、サラサラ感も全然違う。
 この日のルートブックにはCP1、2、3、4間の途中のコマ図は一切なし。
 たった4コマで簡単に150km先のCP4に着けるかのようだった。GPSポイントとタイヤの轍を頼りに、大きな砂丘で構成された終わりのない砂の山脈を、沿うように避けるように移動していた。
 「方向は向こうなんだけど」
 GPSを見ているナビのハカセは横の砂丘をきりたいようだが、これだけ大きな危険物にとても一人で挑む気にはなれず、ハンドルはしっかり前車の轍を追いかけていた。そしてしばらく平行線に伸びていた轍は、いきなり垂直に進路を変え、砂丘めがけて駆け上がっていった。
 下から見るとそのまま空に消えてしまったかのようである。その壁の高さに一瞬戸惑うが、私も行けないはずがないと、助走をつけて一気に駆け上がる。昨日が「荒れ狂う波」なら、今日は「台風の津波」。
 1箇所だけ登れず苦戦した壁もあったが、助走の勢いでなんとか轍にはついて行けた。しかし上っただけでは終わらない。その先には「下る」と言うより「ずり落ちる」が正解の砂の崖が待っていて、ボンネットで先が見えない恐さにドキッ、見えたら高さと角度にドキッ、2度驚くことになっていた。途中私達を抜いていった1台が、勢い余って崖の下で止まっていた。
 日中の最高気温が43度Cだったということもあり、集中力不足からか今大会の中でリタイヤ台数が一番多かったこの日、私達にとっては一度も止まらずにすんだ唯一の日になった。

<<< >>>

CONTACT US