【舞台はチュニジアへ】
プロローグを終えたラリー一行は、ニースの港から船に乗り込み、丸1日かけてチュニジアへと向った。船の中では、全体ブリーフィングやGPSの講習会が行われ、時計も1時間戻してチュニジア時間に合わせるなど、気分は本格的にラリーモードへと変わっていった。
ちなみに船は豪華客船で、嵐の前の快適そのもの。
廊下はじゅうたん張り、食事はコース料理、甲板にでれば地中海の日の光。
慣れない生活環境に戸惑い、またこの雰囲気に流されまいと緊張しながらチュニジア到着までの時間をすごしたのだった。
そして、チュニジアに到着したのは午後2時過ぎ。昨日までとは明らかに違うチュニジアの風を感じながら、明日のスタート地点である約500km先のエルカンタラのビバークへと向かった。
【走ってビックリ!止まってビックリ!!】
4月6日 ETAP-1 エルカンタラ〜ネクリフ
TOTAL:288km (内SS=競技区間281km)
夕べは暗くて分からなかったが、朝になるとそこは広い茶色の大地が広がっていた。
ラリー1日目、まずバイクがスタートし、次に四輪とカミオンがタイム順にスタートする。
トップクラスのロケットダッシュと恐るべき加速力に、鳥肌を立てながら見とれていたら、数キロ先から煙が立ち始めた。そしてアッという間に煙は真っ黒な太い柱になり、オーガナイザーのヘリコプターも飛んで行った。どうやら上位の四輪が燃えたらしい。それでもラリーは何事もなかったかのように続行され、スタートした私達は黒コゲのロールバーとフレームだけの残骸の脇を通り過ぎた。
また鳥肌が立った。
そして、それなりにそれなりに走っていた150km地点の辺りから、クルマの異変に気がついた。以前にも感じたことのあるフワフワしたイヤ〜な感じ。CP3に着いてすぐハカセにリアショックの状態を確認してもらったら「もげてます」。前回のモンゴルのラリーで、ブラケットごともぎ取れた時と同じだった。
そんな動揺している私達の前に、なっなんとあっあの増岡選手とナビのピカード選手がおそろいで登場しちゃったから、さらにビックリ!
「クラッチが壊れちゃったよ」と、増岡選手。そういえばさっき、三菱ワークスカーの赤い後姿がチラっと見えたような気がしたが、「まさか…」。JFWDA出身の増岡選手は、私にとってもまた格別な存在であったから、嬉しくて残念でなんとも複雑な心境だった。そんな私をハカセの一言が現実に連れ戻す。
「フォグランプがない」。
4個つけていたはずのフォグランプの1個が固定されている板ごと、もぎ取れてなくなっている。さらに荷台のアルミボックスのふたも壊れ、中に入れておいたジャッキ棒や木の板なども落としてきていた。
自分達の状況を把握した私達は、増岡選手にかけられる言葉などあるはずもなく、壊れた部分の応急処置が終わると、ただただ会釈をしてその場を走り出した。終始落ち着いていた増岡選手に、パリダカ優勝者の強さと貫禄を感じた一時だった。
競技一日目が無事終わり、誰も待っていないキャンプ地に着いた。さて整備をしようとおでこランプの明かりだけを頼りに車を見回ってみると、残り3つのフォグランプもグラグラで、ランプステーもクラックが入っていた。
さて困った。
私達にはサポートがいない。
身寄りのない私達が一番身近に感じたチーム、それはロシアのワークスチーム「カマズ」だった。彼らはカミオン部門の優勝候補で、パリダカではウチの日野レンジャーとライバル関係でもあるが、以前彼らのチームに助けられたことがある私は一方的に親近感を持っていた。勇気を出して相談してみると快く「クルマを持っておいで」と言ってくれ、競技トラックに固定されているロシア製の溶接機で、クラック溶接をしてくれた。大きなカマズがさらに大きく見えた夜だった。
|