2004年1月8&9日 アタール → ネマ(マラソンステージ)移動距離 1,500km 移動時間 23時間

 
アシスタンス車両は、競技車両とは異なるアシスタンスルートを走行します。基本的には舗装路を利用して次のキャンプ地を目指すので、迂回すると走行距離は競技車より長くなります。この日はまさにそれで、アシスタンスの走行距離は1500km。しかしこの日はマラソンステージで、次のキャンプ地ネマには、翌日の午後までに到着すればよいのですが、その日朝帰りをした私の運転を、津波倉さんと門馬さんが交代で替わってくれました。ランクル70も同様、交替で運転をしてくれていました。それでも長い1500kmに、仮眠休憩やカップラーメン休憩をとりながら、23時間の移動は続きました。


2004年1月10日 ネマ → バマコ移動距離 950km 移動時間 15時間

 
10、11日の2日間が突然のキャンセルになり、予定のモプティの代わりにバマコへ向かうと、前夜のブリーフィングで伝えられました。マラソンステージの昨日、キャンプ地に帰ってこない選手が多く、その中にチームAPIOの尾上/松田組の名前もありました。その夜、衛星電話に松田さんから電話があり、松田さん達も車も無事、休息日のボボディウラッソに直接向かうという連絡に、三栖さん津波倉さんはまずはホッ。


2004年1月11日 バマコ → ボボディウラッソ移動距離 600km 移動時間 8時間

 
ここのところ連日1000km以上の移動が続いたせいで、「今日は600kmだから近いね」と誰もが言い、もう感覚は完全にマヒ状態です。
心配していた尾上さん達も、夜になって3日ぶりに合流。メカの三栖さん、津波倉さんにも笑顔が戻り、11日ぶりにシャワーを浴びた私は、白くなりました。
オーガナイザーらがいる飛行場の方からは、ディスコ音楽と人々の歓声が聞こえてきて、休息日の前夜は賑やかでした。


2004年1月12日 休息日 ボボディウラッソ 

 
唯一の休息日。寝不足を補うためにゆっくり寝ていたかったのですが、日が昇るにつれ、テントの中は蒸し風呂状態になり、とても寝ている場合ではありません。かといって外も日差しがキツイので、車両の整備をする気にもなれません。こんなに熱いのに木陰もなく、ジッと耐え忍んでいるロバが気の毒でなりません。日陰の小屋くらい作ってあげればいいのに。
整備はもう少し涼しくなってからにして、休息日の今日、キャンプ内の見学に歩いてみました。タイヤサービスのEUROMASTERの前には、山のように積まれたタイヤ、デフ交換をしているカミオンのカマズチーム、シャワー待ちの列、プレスルームでプレス発表を聞く人、お昼寝をしている人…。12日間もこんな大勢の人たちと一緒だったんだ。。。

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