2004年1月4日 タンジェ → エル・ラシディア
移動距離 750km 移動時間 12時間
今年最初のキャンプ地に着いた時には、もう朝がすぐそこまで来ていました。メカさん達はすぐにツナギに着替え、出発するまでのわずかな時間を、各車両の整備に費やしました。
私は出発時間まで2〜3時間しかないので、少しでも寝ておこうと車の中で横になるのですが、これからの「アフリカ」にあれもこれも気になって、辺りはすぐに明るくなってしまいました。こうして待ちに待ったアフリカステージは、寝不足状態の中でスタートしました。
この朝、二輪の風間深志選手が、突然追越を掛けてきた地元のトラックと衝突、左足にかなりの重症を負う大事故が起きてしまいました。夜、風間さんの容態を医療チームのFEDELIAに聞きに行ったところ、ラバトのミリタリー病院に運ばれ手術を受け、依然予断を許さない状態だと説明を受けました。あまりの事故の衝撃と無念さで、みんなやり切れない思いでいっぱいの夜でした。
2004年1月5日 エル・ラシディア → ワザザット
移動距離 310km 移動時間 4.5時間
今度はヤマハ・セロー225ccで挑戦のチームPIYOKO隊の3名が帰ってきません。その日のSS区間で日野レンジャーのクルーが彼らを確認したそうなのですが、その後PIYOKO隊が帰って来ません。彼らの隊長でありメカニックの麻生賢司さんは、衛星電話を片手に一晩中起きて帰りを待ち続けていました。
2004年1月6日 ワザザット → タンタン
移動距離 750km 移動時間 12.5時間
今回の体制とメンバーをご紹介しましょう。アシスタンス車両は全3台。スペアーパーツやタイヤを運ぶ六輪駆動の大型トラック(日野プロフィアFU)と、メカニックさんの移動手段となるランクル70(二輪メカ)と、そして私達のエスクード(四輪メカ)です。
大型トラックを運転するのは、パリダカ3回目、アシスタンスのベテラン・バイラーさん。彼はモンゴル人ですが、日本語ぺらぺら、ロシア語ぺらぺら、運転は上手いし、何でも直せる、チームに欠かせないボス的存在なのです。そのバイラーさんのとなりには、チームスガワラのメカとして、全国日野自動車から勝ち抜いてきた優秀な宮城日野自動車の田中健一朗さんと、石川日野自動車の橋場弘さんの3名です。
そしてランクル70の運転を担当するのが、普段はライダーの片山晋也さん。KTM最強メカのT.カイザー(ドイツ)さん、風間深志さんのメカの浅井明さん(パリダカ出場経験9回、上位入賞するドライバーです)、そしてチームPIYOKO隊の麻生賢司さんの二輪メカさん4名です。
いよいよラリーも本格的に厳しくなってきました。アシスタンスにとっても今年のコースはかなり厳しいもので、大きな事故が心配されていました。それというのも死亡事故というのは、競技車両よりアシスタンス車両の方が多いらしく、夜は整備、昼間は移動で、疲れや寝不足がたまった状態で運転をするのですから、それも納得です。
2004年1月7日 タンタン → アタール
移動距離 1,000km 移動時間 26時間
この日はアシスタンスルート最大の難所で、長〜い1日になりました。朝はまだ暗いうちから走り出しましたが、この日は途中から選手と同じ競技区間(SS)を走るため、最後の競技車がスタートを切るまでじっとそこで待機していなければなりませんでした。ようやくアシスタンス一行が走り出せたのは、すっかり午後になってから。それからは延々と走り続け、問題の砂丘地帯に入ったのはすでに闇の世界になってから。アシスタンスルートといっても、侮れないちゃんとした砂丘があって、あちらこちらでスタック車両続出。(ライトが止まって見えるということは、スタックしてるということ)。その後も小さい急勾配の砂丘の連続で、前車が駆いたタイヤで掘り返されたグチャグチャな轍の跡を、夜中じゅう走り続けました。ようやく砂丘も抜け出したころ、今度は凄まじい砂嵐に見舞われて、結局キャンプ地に着いたのが、朝の8時。「大変遅くなりました」
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