最終更新日:2004/03/19
■筆者紹介
近藤聡子
普段はジムニー、国内オフロードレースでは軽バギー、ラリーレイドにはビッグホーンで挑戦する彼女は、身長150cmの小柄な女性。座布団なしでは無人車になり、目線を合わせれば足が届かないという個人的な問題を抱えつつも、2002年ラリーレイドモンゴル準優勝の経歴を持つ。日本レーシングマネージメント株式会社社員
2003年12月31日 車検 クレルモンフェラン(フランス)
それは巨大なイベント会場から始まりました。フランス中央部に位置するクレモンフェランの郊外で、12月29〜31日の3日間、人検と車検が行われました。
車検を無事にパスした私達のアシスタンスカーは、オーガナイザーの誘導のもと、晴れてパルクフェルメの仲間入り(オーガナイザーの管理下に措かれる車両保管場)。そこにはゼッケン順に並べられた600台余りのラリーカーが、あすのスタートを静かに待っていました。そんな贅沢とも、異常ともいえる光景に「パリダカに置いて行かれるな」「失敗したら置いてくよ」そんな脅迫観念にも似た不安に駆られたことを覚えています。
大会の大きさ、ゴールを目指す30名のエントラントの思い、アシスタンスに課せられた重みを感じながら、いよいよ今年のパリダカが始まります。
2004年1月1日 スタート クレモンフェラン → ナルボンヌ
移動距離 450km 移動時間 6時間
ヨーロッパステージというのは、パリダカの中でも特別な区間です。最近のヨーロッパステージは「アシスタンスフリー」いわゆる競技区間や禁止区間以外ならいつでも自由にサポートが可能、さらに二輪選手は、真冬の移動を避けるために別に用意したサポートカーにバイクを積んでの移動も自由です。とにかく、アフリカに旅立つ選手たちは、友人や家族と一緒にヨーロッパステージを「楽しむ」というのが彼らのスタイルなのです。
全体ブリーフィングが行われた後、選手はスタートの用意を、アシスタンスはナルボンヌを目指し、パリダカが動き出しました。
スタート直後から降り出した雪で真っ白だった路面も、430km先のナルボンヌについた頃にはすでに雨に変わり、最初のアシスタンスエリアでの整備は雨の中で行われました。
2004年1月2日 ナルボンヌ → カステロン
移動距離 550km 移動時間 9時間
今年私が担当した車両はスズキ・エスクード。これが相当に速い車で、加速グイグイ、移動スイスイ!頼もしい車なのです。
このエスクードで18日間ご一緒させていただいたメカニックさんはというと、チームAPIOの三栖宏一、津波倉康史さん、そしてチームスガワラのメカニックとして派遣された日野自動車の門馬孝之さん。この3名がエスクード運命共同体として、時にはナビゲーター、時にはメカニック、またある時は燃料の値段交渉から翻訳まで、幅広くお世話になった方々です。
2004年1月3日 カステロン → アルジェシラス → タンジェ
移動距離 950km 移動時間 13.5時間
今年もカステロンの海岸で、恒例のSSが行われました。SS終了直後のアシスタンスエリアには、私達3台のアシスタンストラック&カーが待機。全二輪選手の通過を確認後、私達も直ちにアルジェシラス港へと移動しました。この日でヨーロッパステージは終わり、いよいよ明日から本格的なアフリカステージが始まります。実はアシスタンス側からすると、ヨーロッパステージの方が超大変で、無事にヨーロッパステージを終えた安堵感で、運転してても鼻歌が出ちゃう私でした。アフリカへの船は何便かあるのですが、私達は午前2時に乗船。3時間ほどの船旅で、舞台はアフリカへステージへと移っていきました。モロッコのタンジェのキャンプ地に到着したのは翌日早朝5時すぎで、ここまでが長い3日目の行程です。
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