今年のルートブックの最初のコマ地図は、ウランバートル郊外の国立公園内から始まった。
運転するのは昨年に引き続き今年2度目になるが、昨年は私の社長でありパリダカール最多出場の菅原義正がナビゲーター兼インストラクターを務めてくれたおかげで、大きなトラブルも無く、無事に走りきる事ができた。というわけで今年が私にとって本当の意味でのデビュー戦だと思っていた。
そんな私のナビゲーターを務めてくれたのは、同じ会社の小石沢彰(通称ハカセ)である。私と8日間の運命共同体となった希少な彼は、プロのナビゲーターを目指して入社し、念願の海外ラリーレイド初出場である。
そして今年はチームメイトがもう1人いた。ホンダ・アクティ660ccエンジンを搭載したバギーに乗る菅原の息子・照仁である。物理上1人乗り仕様のためナビゲーションをしながら運転をするという、私には理解し難いことに挑む彼なのだが、4度のパリダカール経験を持つ彼のことは全く心配していなかった。
しかしチーム2台体制といえども、車種もカラーリングもコンセプトもまるで違う私達。やっと見つけた共通項は、2台とも何の車なのか分からないことぐらいだ。
私達が乗るクルマは、昨年同様いすゞビッグホーンである。
パリダカールでお馴染みの浅井明さんやアピオの尾上茂さんのご協力のもと車両や部品をご提供していただき、そして菅原の「軽量化は最強の改造」構想に基づき、惜しげも無くボディを真中からカットしてしまった。
恵比寿にある会社のガレージでクルマの流れを見ていた人は、造っているのか、壊しているのか分からなかったであろう。
そんなこんなで限られたガレージスペースにはパリダカレンジャー、モンゴルバギー、同ビッグホーンが所狭しと置かれ、車両密度の高いガレージで、工具の奪い合いを繰り返しながらも、私達の昼夜問わずの車両製作は進められた。
ちょっとカッコ良くまとめるのならば、その光景はまるで『親』であるパリダカレンジャーが、『子供』であるバギーやビッグホーンの成長を見守っているかのようだった、なんちゃって。
こうして全ての準備は整い、晴れ晴れした気持ちで迎えたラリー初日、クルマも人間もぎこちない動きではあっただろうが、私達は待ちに待ったレースが始まった嬉しさを隠し切れなかった。
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