モンゴルはとにかく広い、大きい、気持ちが良い。大きく深呼吸すると、自分も自然の一部になれたような気がする。
そういう訳で一度行った者は「モンゴル病」にかかると言われており、行けば行くほど重症になってくるものだからまったく厄介な病気である。私も例外なくその「モンゴル病」にどっぷりかかり、今年4年目の夏を迎えた。
出発前、私の頭の中にひょっこり浮かんできた言葉があった。それは「起承転結」。
思い起こせば4年前、ナビゲーターで初めてこの大会に出場させてもらった私は、この衝撃的なラリーの世界にカルチャーショックを覚え、自分の中に新たな芽が芽生え始めた1年目「起」の年。
そして翌年、貴重なハンドルを握らせてもらい、ナビゲーターを務めてくれたパリダカのカミオントップドライバーである社長の菅原から、ドライバーの心構えを教えてもらった2年目「承」の年。
そして迎える3年目、私の未熟な判断ミスから、砂丘で車を転倒させてしまい、文字通り「転」の年。
そして4年目にあたる今年、順番で行くと「結」になる。昨年の失敗に少々自信をなくしていた私に、なんとも心強い言葉だった。
異常気象はモンゴルにも変化をもたらした。雨が降らないせいで、モンゴルの財産である広大な緑のジュータンはくすんだ黄色と化していた。地面も硬くしまり、巻き上がる土埃も多い気がする。記録的な暑さに喉もすぐに渇いてしまい、持っているペットボトルもすぐに飲み干してしまう。
ウランバートル近郊の国立公園内のホテルからスタートした私達一行は、一路南へと進んで行った。
「いよいよ始まったね」ラリー初日、まだスピードに眼がついていけない私は、抜かされても離されても気にせず焦らず、ひたすらマイペースに徹する。しかし欲がない日に限って、案外結果が良かったりするものだから、ラリーは分からないものである。
モンゴルの夜は、宇宙を感じさせるダイナミックな夜空が主役だ。夜空一面にちりばめられた何万個という星の結晶は、どんな高価な宝石より贅沢で美しい。手が届きそうな天の川に沿って、今年も私達はモンゴルの魅力へと引き込まれていった。
ラリー2日目、この1年、私はこの日を待っていた。
怯えながらも私はこの日を待っていた。一昨年、私はこの砂丘で大ミスを侵す。砂を過信した私は大事な車を転倒させてしまう。幸いにも助けられたおかげで、無事に走りきることはできたが、予想以上に自分へのダメージは大きかった。
夢でうなされ、自信もなくなり、好きだったレースも怖いと思い出す始末。自信を失くした私には、この砂丘で失くしてしまった落し物を取り返せねばその先はないこともよくわかっていた。それが私に課せられた今年最大の課題であった。
その砂丘は550kmほど消化した後に、ようやく視界に入って来た。
「恐くない、恐くない」と言い聞かせ、ギッと前方の砂丘群を睨んだ。「来るなら来てみろ」ぐらいの勢いで砂丘地帯に入っていったもの、インカムからは「ずっと砂丘の裾を狙って」の指示が続く。砂丘を避けたければ、いくらでも避けて通れるのだ。イメージしていた敗者復活戦とは随分違うなと思いながらも、赤ちゃん砂丘にさえ身構えしてしまう私達は、少しでもリスクが少ないラインを選んだ。時折チラチラと砂丘地帯を仰ぎながら、「去年の砂丘」に向かって怒鳴ってやりたい衝動にかられる。
もちろん悪いのは私で、砂丘は悪くない。こうして終始興奮気味の私は無事にキャンプ地へと到着した。
さっきまで砂丘を避ける様に恐る恐る走っていた私も終わってしまえば「もっと中に入りたかったなぁ」などと現金なものである。でもそんな笑い声と共に、私のつかえは砂の中へと消えていった。
だんだん体も慣れてきた3日目、ルートブックを見ていた小石沢ナビが「次の指示には危険としか書いていない」と言う。
主催者の山田さんが作ったコースであるから、危険と書くということは、相当に危険なのだ。過去にもいきなりリズムが変わるような、危ない目に何度となく驚かされていた私達にとっては、反射的に用心モードになる。
「え?」突然目の前の大地が消え、舞台は突如として山の頂上から見下ろすシーンへと変わった。
それまでの平地は山頂となり、地平線だと疑わなかったその先は、谷底深く下っている。あまりの展開に息を呑み、そしてあわてて急ブレーキを踏んだ。フロントガラスを通して見渡した世界は、遥か彼方に凛々しくそびえる連峰の山々と、眼下には一望に広がる壮観な景色。あまりのナイスビューにあわてて車載ビデオも回し始める。
しかし美しいだけでは済まされない。転がり出したら止まらない急な斜面を、車は斜めに傾きながら、ひたすらひたすら我慢して下る。それが小さなジオラマに見えるあんな下まで続くとは…。現地の人はよほど運転が上手いのか、度胸があるとしか思えない。逆バンクに最悪のシナリオを想像してしまった私は「弱虫」と言われようが、何度もシフトのLOWを確認しながら、ソロソロ、ソロソロと自然の常識にびびっていた。
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