昨年ナビゲーターとして助けてくれた菅原は、今年はカミオンバレーのドライバーでありオフィシャルという立場だが、日本の浜辺で砂の走り方を教えてもらったり、乗り易いクルマに仕上げてくれた菅原に、私達が元気に走っている姿を見てもらえることが嬉しかった。そして自分でも気持ちがいいほど上手く遠心力を使いながら手前にある砂丘に登り、そしてそこから助走をつけてCPのある目の前の砂丘を登った。そこで無事にCPを通過できた達成感と、思いの外上手く乗れてる嬉しさで「砂丘ってそんなに怖くない」そんなヘンな自信がついていた。
あとはキャンプ地までの10kmを残すだけ。
私は慎重さも砂の怖さも忘れていた。
不思議なもので砂丘の上にいるときは、早く下に降りたくなり、反対に下にいる時は早く登らないと助走不足でスタックしてしまうような錯覚に陥った私は、吸い込まれるように目の前の砂丘に登った。
慎重さ冷静さを失った私は何も考えず、ただ目の前にある砂丘を登ってしまったのだ。
一気に頂上まで登りきった私は、その高さや斜度に一瞬面食らい、とっさに固い路面が広がる右側のブッシュ地帯までバランスをとりながら尾根伝いをたどっていこうとハンドルを切った。
怖いとも危ないとも感じていなかった。
そして事は起こった。ダンッという慣れない衝撃と共に、目の前の風景が回った。
私は転倒したのだった。
信じられなかった、信じたくなかった。あんなに上手く行っていたのに、どうしてこんなことに…。その時私は必死でリセットボタンを探していた。
なかったことにしよう、なかったことにしなくちゃ、と必死でもがいた。けれど現実をリセットすることなどできるはずもなかった。「どうしよう、どうしよう」とパニック状態の私に、隣りでシートベルトに吊られているハカセが「大丈夫、大丈夫」と落ち着かせてくれ、下側になった私を先にクルマから出してくれた。
やっと脱出して見たものは、大切なクルマが横たわった姿だった。泣き虫の私だが涙なんか出てこなかった。あんなに大切に作ってくれた大好きなクルマを、まだレースも半ばで倒してしまい、事の重大さに震えが止まらなかった。安全タンクの大気開放口からジャージャーと流れ出すガソリンは、まるで人間の血液のように思えて、グローブも外さない手で押さえながら、悲しさも止まらなかった。
そしてハカセの掛け声のもと、私達は砂を掘って掘って掘りまくった。しかし乾燥しているモンゴルの砂は蟻地獄のようにサラサラと崩れてしまう。「ぜったいゴールしますからね」ハカセが砂を掘りながら叫んだ言葉が胸に響き、私は泣きながら砂を掘った。転倒付近の斜度がキツイため、下へ向けてゴロンゴロンと回転させて、40分後ようやくクルマは元の体勢に戻った。
しかし起こす時に壊れたフロントガラスやへこんだボディは、自分の失敗の身代わりとなり、私の運転の未熟さを証明していた。そうしてどうにかエンジンも無事にかかり、もう終りだと思っていた私は再び涙が溢れ出し、起き上がってくれたクルマも、再びキャンプ地目指して動き出す。
粉々に割れたフロントガラスと乾かない涙で、私は前が見えなかった。
窓から飛び出していった使い慣れたモノ達や、アリンコのような小さな小さな私の自信も、サラサラした砂は簡単に飲みこんでいった。
砂丘では本物しか残れないという。
ごまかしが利かないこの世界で、これが私の実力だと思った。
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