最終更新日:2009/6/10

ゴールへ

 ETAP8 オリアスタイーウランバートル
さぁ、最終日のスタート。ここまで焦りまくっていたので、あっという間でしたが、後56kmでゴールです。
ミスコースしないよう冷静に正確にドライバーへ情報を伝えられる様に心がけます。
特にスタートから10kmほどの間はコーションマークの付いたコマ図がたくさんあり、危険です。目をトリップメーターやコマ図から外し、なるべく外に持っていきます。
スタートから10kmほどでFJクルーザーの松野さんにすごい勢いで抜かれました。松野さんのスタートは我々の1分後。10kmで約1分タイムをつめられていることになります。しかし、このSSは56kmしかないので、こちらがミスやトラブルでロスを作らない限り、総合成績で抜かれることはないでしょう。
コマ図を1ページ1ページ進めていくと、残りページの薄さでゴールが間近に迫っていることを感じます。最後は都市に近いせいか、平行ピストの本数が多く、自分の進む方向を冷静に見定めながらのナビゲーションでした。しかしGPSの矢印は最後の目的地ウランバートルに真っ直ぐなので、方向を見誤ることはありません。

そして、ゴール。昨日の尾上さんの転倒でプレッシャーから解放されたので、冷静にしっかりとナビが出来たと思います。今日はミスコースやナビミスはゼロ。
尾上さんのジムニーも思っていたよりも早くゴール。痛々しい姿ですが結構、とばして来たようです。 2台を並べてみると、尾上さんのクルマは良くここまでたどり着いたなという印象…。ジムニーはなかなか強い車です。
FJクルーザーの松野さんはさすがラリースト。我々のジムニーよりも…7分も早いタイムでゴールしていました。ナビさんは調子が良くないようです。いきなりあのスピードで走られたら、きついでしょう。 僕はそれを見て、自分の初日を思い出しました。最初はコマ図とトリップを追うのに必死で、景色などは一切見れませんでした。
驚いたのは、バイクのガイザーさん。最終SSは塙さんのチャレンジャーを抜き、塙さんより3分半速いタイムでゴール。しかも、塙さんは抜かれた覚えがないと言っています。きっとGPSに従って、直線的に攻めたのでしょう。夜はバイクのメカとして、ドイツ勢のバイクを修理して、しかも自身のバイクはスイングアームのトラブルに見舞われながら、バイク総合3位でゴールです。パリダカのプロはやはり違います。乗っても速い。
ゴール後のチンギス・ハーンホテルまでのパレードは警察に先導されながら進みますが、先導の速度が速い速い。都心なので、車も多く、ヒヤヒヤしました。

ラリーを終えて

終わってみればジムニー対決は僕たちの勝利。
でも初めての自分にとっては頂いた勝利のようなものです。初日に自分が作ってしまった15分もの大差は結局自分では取り返すことはできませんでした。
パリダカのトップ選手でも、2週間のレースを走って、ついた差がわずか数秒ということが良くあります。ジムニーに乗る会長と尾上さんの経験の深さ、その実力を知りました。なにせ、1日中走り回っているのに、ついた差が数秒という日がありました。相当高次元な戦いでした。 その戦いの中で、一分一秒を詰めることの大変さを身にしみて感じました。
そして、その激しい走りをしているのに、会長の隣に乗っていると、絶対にクルマを壊さない、という安心感を持って隣にナビシートにいることが出来ました。会長のナビとして導いたというより、会長に導かれたといっても過言ではないラリーでした。
実はこの日、車両を帰りのコンテナに搬入し終えた後、夜中から体調を崩し、先日リタイアしてしまった日野レンジャーの修理も行けませんでした。一日中トイレとベッドを往復していました。なんとも情けない。気のゆるみというのは怖いものです。
その節は皆さんにご迷惑をおかけしまして、申し訳なく思います。 ラリーの参戦にあたって、様々な方々にご指導いただき、本当にありがとうございました。まだまだ小僧ですが、これからもビシビシご指導いただきたく思っております。 またみなさんから応援していただき、ラリー中まで応援メッセージをいただき、ありがとうございました。ラリー中のメッセージは本当に励みになりました。 最終話の完走まで、ひどく時間がかかってしまい、申し訳ありませんでした。ここまで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
2009年のモンゴルも間近に迫っていますが、親父たちの熱い戦いはさらに温度を増して白熱しているようで、ラリーモンゴリア2009も楽しみです。
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