主催者ASOから25回連続出場の表彰を受け記念の盾を貰う
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2006年 8月 |
北京−ウランバートル 2006 |
ヤマハ・RHINO |
総合 31位/AUTOクラス 8位 |
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2006年 5月 |
The 15th TOUR DE BLUEISLAND 2006 |
ヤマハ・XT250(二輪) |
総合 55位(94台中)/CATEGORY-3 25位 PROMOTION CLASS 24位 |
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2006年 1月 |
第28回 ユーロミルホー・ダカールラリー |
日野レンジャー |
カミオン部門総合 5位/3.1クラス 5位*** 排気量10L未満クラス 1位 |
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2005年 8月 |
北京−ウランバートル 2005 |
ヤマハ・RHINO |
総合 43位/AUTOクラス 8位 |
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2005年 5月 |
The 14th TOUR DE BLUEISLAND 2005 |
ホンダ・XR250(二輪) |
総合 68位(80台中)/ CATEGORY-3 35位 PROMOTION CLASS 29位 |
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2005年 1月 |
第27回 テレフォニカ・ダカールラリー |
日野レンジャー |
カミオン部門総合 2位/3.1クラス 2位*** 排気量10L未満クラス 1位 |
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2004年9月 |
第21回 ファラオラリー(日本人出場者のサポート) |
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2004年 7月 |
TOUR DE BLUEISLAND 2DAYS 2004 |
ホンダ・XR250(二輪) |
総合 56位(84台中) CATEGORY-3 25位/OVER38 25位 |
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2004年 5月 |
THE 3RD. TOUR DE NIPPON 2004 |
ホンダ・XR250(二輪) |
総合 18位(42台中) CATEGORY-3 7位 PROMOTION CLASS 6位/OVER38 8位 |
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2004年 1月 |
第26回 テレフォニカ・ダカールラリー |
日野レンジャープロ |
カミオン部門総合 5位/ 3.1クラス 5位*** |
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2003年 7月 |
THE 2ND. TOUR DE NIPPON 2003 PART.2 |
ホンダ・XR-BAJA(二輪) |
総合 15位(38台中)/CATEGORY-3 7位 PROMOTION CLASS 5位/OVER38 5位 |
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2003年 5月 |
THE 2ND. TOUR DE NIPPON 2003 PART.1 |
ホンダ・XR-BAJA(二輪) |
総合 13位(33台中)/CATEGORY-3 6位 PROMOTION CLASS 3位/OVER38 4位 |
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2003年 1月 |
第25回 テレフォニカ・ダカールラリー |
日野スペースレンジャー |
カミオン部門総合 5位/3.1クラス 5位*** |
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2002年 8月 |
第8回 ラリーレイド・モンゴル |
ホンダ・PILOT FL400R |
総合 36位(2・4輪合同) MOTOマラソンクラス 17位 |
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2002年 5月 |
THE 1ST. TOUR DE NIPPON 2002 |
ホンダ・XR-BAJA(二輪) |
総合 34位(98台中)/ CATEGORY-3 17位 PROMOTION CLASS 14位/OVER38 6位 |
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2002年 1月 |
第24回 アラス・マドリッド・ダカールラリー |
日野スペースレンジャー |
カミオン部門総合 3位/3.1クラス 1位*** |
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2001年 8月 |
第7回 ラリーレイド・モンゴル (カミオンバレードライバー) |
日野プロフィアFU |
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2001年 7月 |
第1回 TOUR DE BLUEISLAND 2 |
ホンダ・XR-BAJA(二輪) |
総合 26位(31台中)/OVER38 9位 |
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2001年 5月 |
第13回 TOUR DE BLUEISLAND |
ホンダ・XR-BAJA(二輪) |
総合 144位(201台中)/OVER38 23位 |
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2001年 1月 |
第23回 パリ・ダカールラリー |
日野スペースレンジャー |
カミオン部門総合 2位/T4-1クラス 1位** |
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2000年 8月 |
第6回 ラリーレイド・モンゴル (ナビゲーター) |
いすゞ・ビックホーン |
総合 16位(2・4輪合同)/AUTO部門 5位 |
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2000年 1月 |
第22回 パリ・ダカール・カイロラリー |
日野スペースレンジャー |
カミオン部門総合 5位/T4-1クラス 1位** |
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1999年 8月 |
第5回 ラリーレイド・モンゴル |
スズキ・ジムニー660 |
総合 24位(2・4輪合同)/AUTO部門 3位 |
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1999年 1月 |
第21回 グラナダ・ダカールラリー |
日野ライジングレンジャー |
カミオン部門総合 4位/T4-1クラス 1位* |
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1998年 8月 |
第4回 ラリーレイド・モンゴル (カミオンバレードライバー) |
トヨタ・ランドクルーザー70 |
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1998年 1月 |
第20回 パリ・グラナダ・ダカールラリー |
日野ライジングレンジャー |
カミオン部門総合 2位/T4-1クラス 1位* |
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1997年 1月 |
第19回 ダカール・アガデス・ダカールラリー |
日野ライジングレンジャー 【日野ワークスチーム】 |
総合 28位/ カミオン部門総合 2位/T4-1クラス 2位* |
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1996年 1月 |
1996年パリダカ・トラック部門で日野ライジングレンジャーが最も美しいデザイン賞を受賞。
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1996年 1月 |
第18回 グラナダ・ダカールラリー |
日野ライジングレンジャー 【日野ワークスチーム】 |
総合 31位/ カミオン部門総合 6位/T4-1クラス 1位* |
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1995年 1月 |
第17回 グラナダ・ダカールラリー |
日野ライジングレンジャー |
総合 24位/カミオン部門総合 2位 |
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1994年 1月 |
第16回 パリ・ダカール・パリラリー |
日野クルージングレンジャー |
総合 15位/カミオン部門総合 2位 |
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1993年 1月 |
第15回 パリ・ダカールラリー |
日野クルージングレンジャー |
総合 21位/カミオン部門総合 6位 |
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1992年 9月 |
第1回 パリ・モスクワ・北京ラリー |
日野クルージングレンジャー |
総合 30位/カミオン部門総合 6位 |
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1992年 1月 |
第14回 パリ・シルト・ルカップラリー (カミオン部門初の日本人完走者) |
日野クルージングレンジャー 【日野ワークスチーム】 |
総合 32位/カミオン部門総合 6位 |
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1991年 1月 |
第13回 パリ・トリポリ・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (V6ミッドルーフワゴン) |
総合 23位(日本人トップ) |
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1990年10月 |
第9回 ファラオラリー |
三菱・パジェロ (V6ミッドルーフワゴン) |
総合 14位/T2-4クラス 1位 |
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1990年 2月 |
三菱自動車 ラリーアート・ドライバー・オブ・ザ・イヤー (クロスカントリーラリー部門)を受賞 ※日本人唯一 |
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1990年 1月 |
第12回 パリ・トリポリ・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (V6-3000 ショート) |
総合 26位/市販車改造クラス 2位 |
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1989年10月 |
第8回 ファラオラリー |
三菱・パジェロ (2600ガソリン・ターボ) |
総合 15位 |
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1989年 1月 |
第11回 パリ・チュニス・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (2600ガソリン・ターボ) |
総合 27位 |
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1988年10月 |
第7回 ファラオラリー |
三菱・パジェロ (2600ガソリン・ターボ) |
エンジントラブルのため最終日にリタイヤ |
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1988年 1月 |
第10回 パリ・アルジェ・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (2600ガソリン・ターボ) |
エンジントラブルでリタイヤ |
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1987年10月 |
第6回 ファラオラリー(日本人出場者のサポート) |
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1987年 1月 |
第9回 パリ・アルジェ・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (ディーゼル・ターボ) |
総合 87位/ディーゼルマラソンクラス 5位/ 最終完走者賞受賞(ランタンルージュ) |
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1986年10月 |
第5回 ファラオラリー |
三菱・パジェロ (ディーゼル・ターボ) |
総合 13位/マラソンクラス 3位 |
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1986年 1月 |
第8回 パリ・アルジェ・ダカールラリー |
三菱・パジェロ (ディーゼル・ターボ) |
総合 33位(日本人過去最高位)/ マラソンクラス 5位 |
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1985年10月 |
第4回 ファラオラリー |
三菱・パジェロ (ディーゼル・ターボ) |
総合 30位/ マラソンクラス 4位/ディーゼルクラス 2位 |
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1985年 1月 |
第7回 パリ・アルジェ・ダカールラリー (夏木陽介氏のナビゲーター) |
三菱・パジェロ (ディーゼル・ターボ) |
ダカール手前900km地点でリタイヤ |
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1984年10月 |
第3回 ファラオラリー (日本人初出場) |
ホンダ・アクティ4WD |
最小排気量完走賞 |
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1984年 1月 |
第6回 パリ・アルジェ・ダカールラリー |
ホンダ・XL400R(二輪) |
タマランセット地点でリタイヤ |
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1983年 1月 |
第5回 パリ・アルジェ・ダカールラリー |
ホンダ・XL400R(二輪) |
右足骨折のためリタイヤ |
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1982年 4月 |
サハラ砂漠横断 (アルジェ〜アビジャン間5,000km、5ヶ国) |
スズキ・ジムニー1000 スズキ・DR600(2台) |
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1980年10月 |
ノンストップで富士山登頂に成功 |
ホンダ・エルシノア360(二輪) |
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1977年10月〜1978年 1月 |
カラチ〜リスボン間走破 (20,000km、14ヶ国通過) |
ホンダ・アクティ3台 ホンダ・アコード1台 |
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1965〜1981年 |
17年間で国内59レースに参加 |
ホンダ・S600/1300クーペ モーリス・ミニクーパーS フェアレディ・セドリック ロータス47GT・スターレット マツダ・ロータリークーペ |
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全日本レーシングドライバー選手権シリーズ |
1970年度全日本レーシングドライバー選手権 |
ホンダ・1300クーペ |
T-1部門 4位 |
1969年度全日本レーシングドライバー選手権 |
モーリス・ミニクーパーS |
T-1部門 2位 |
1968年度全日本レーシングドライバー選手権 |
モーリス・ミニクーパーS |
T-1部門 2位 |
1967年度全日本レーシングドライバー選手権 |
モーリス・ミニクーパーS |
T-1部門 2位 |
1966年度日刊スポーツジュニアチャンピオンレース |
ホンダ・S600 |
B 部門 1位 |
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1965年10月 |
(デビュー戦) 第1回 モーターファン・コンバインドラリー |
ホンダ・S600 |
T1クラス総合 4位 ヒルクライム部門 2位 サーキット部門 3位 ラリー部門 6位 |
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